海の手記

報告と記録

旅行

ずっと生きていたいと考えて、あるいは考えるように自分を飼い慣らしてきたぼくだけれど、それでも消えてしまえたらと考えたことがないと言えば嘘になってしまう。ぼくにとって青春とは生き長らえてもいい理由を、価値を、ぼくに見出だすための時間でした。
でも貴女はいてくださいと言ったね。いなくてはだめだと言ってくれました。そして泣き虫な貴女のことを思うと、ぼくはもう消えてしまえたらなんて考えることができないのです。ぼくがいなくなったあとの貴女を考えるとたまらなくかなしく、そんな地獄を貴女に与えてはならないと思うのです。ぼくがいなくなったら貴女はどうなるでしょうか。きっと彼あたりからそのことを聞くのでしょうか。そして世界にもうぼくがいないことに悲嘆し、絶望し、泣くのでしょうか。考えたくないね。
大丈夫だよ、ぼくは貴女を置いてどこかへ行ったりしません。そして、貴女がいなくなったときのぼくも貴女と同じであることを、どうか知っておいてください。ぼくはどうしようもなく嫉妬深い人間なようなので、貴女を無闇に傷つけることも多いけれど、本当に貴女がぼくを選んでくれたことを嬉しく思っているし、ぼくも貴女を選んでいるのですよ。
旅行、楽しかったです。また本が増えたね、ありがとう。貴女の生活の貴女により近いところに触れられたこともとても嬉しい。以前よりもすこしだけ泣き虫になった貴女が愛しく、またすこしだけ心配です。貴女が出会った頃を回顧していたように、今を懐かしむときがきっと来るから、大丈夫だよと言い続けることにします。すきですよ。

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音楽

そこには音楽があって、自治が確かに息づいていました。あの空間がすきです。誰もが輝いて見えて、その中に、たとえ不相応だとしても自分がいて。
本番前は相変わらず吐きそうになります。誰にも言ったことがないけれど、音楽に限らず、何かの前にはいつもこうで、でも終わってみれば息ははずんでいるのです。
本当にたのしかった。たまにはこういうのもいいなと思えて、あるいは思ってしまっています。でもこんなにも切なくてさみしいのは、きっと貴女がいないからです。こんなに楽しくいとしい時間と空間を、貴女に見せてあげたくて、こんなにも胸がしめつけられるのです。
またひとつ歳をかさねたぼくを、新しく愛してくれた貴女がすきです。かさねていきましょうと貴女は言いましたね、どうか貴女も健やかに。それがぼくの願いです。ひとつずつ、かさねていきましょう。
だいすきです。

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恋文

こちらは晴天です。
なんて言葉が、貴女に何らかの感情を喚起させられるようになるくらいには、この街はもう貴女にとって特別でしょうか。みたことのある道、店、風景。そういうものがすこしずつ増えて、いつかこの街が貴女のものになりますように。そう思います。
ぼくの大切なものや生活を、ぼくがみせて、貴女はそれを気に入って、こういう行為をきっと交感と呼ぶのだろうな、とふと思い至ります。
今やこの街のどこにでも貴女はいて、でもどこにもいなくてさみしい。淡くゆるやかなしあわせが流れるこの部屋で、ぼくはもう二度目の夜を迎えています。
この三日間も生活に希釈され、撹拌してしまうのでしょう。でもね、ぼくはもうあの本を忘れないし、あのきれいなゼリーを貴女なしで飲んだりは出来ないよ。どうかこんなおだやかな日々がずっと続きますように。貴女が泣き虫のままでいられますように。

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融解

自らの狭量さ加減に辟易する。傍からみて自分は大層面倒くさい人間であるだろうし、平素通りの鈍感もまるで用をなさないので困っている。感情というものは非常に生理的なもので、飼い慣らすには理性という手綱はあまりにもか細い。そもそも自分がここまでの拘泥、執着をみせること自体が稀有であり、どうにもそういった自分にいまだ不慣れで、最近は不安定な日々が続いている。
信じている、という言葉がどこまで本当であるのか、考えたくはないけれど、少なくとも私の自意識は理性に寄っているらしいからきっと本当なのだろうと思う。信じているという言葉を要請しているのは感情ではなくて理性であるから。
一体何が気にくわないのか、考えていると歯止めが効かなくなってしまう。私が不感を貫けばよいのか、それともみられるという状態を捨て去ってしまえばよいのか。こうして煩悶していることが、私はとても申し訳ない。どうしようもない人間だ。信頼と好意を裏切っている気分がして、苦しい。困らせていると感じる。もうこれ以上踏みにじるような行為はしたくないのにな。

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ふと

本当に自分が気持ち悪くて仕方がない。
声帯を震わせ、口腔から放たれる言葉はまさしく本当な筈なのに、相反するどろどろと粘度を持った感情がいまだ僕の中から消えない。最低な気分。最低な思考。傷つくのは平気だけれど、傷つけるのは嫌だ。僕に起因する何かが、他者を変質させてしまうことがとても怖い。だからこれでいいんだと思う。最適解だ。こんなことを何度反芻すればいいんだろう。

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ああもうだめだな、と思う瞬間がいつもあります。
僕はもうひとを羨んだり、自分に絶望したりはしたくないのです。自分以外を無能と切り伏せ、自分の蒙昧であることに無知であった頃、間違いなく僕は誰よりも天才だったし、誰よりも神様に近かった。
自分が不出来なわけでは決してありません。僕は天才として生まれてきました。不出来なんてことを認めてしまってはまるで両親のせいにしているようで、いいえ僕がこうまで無能であるのは自分の責任であり、怠惰に全てを疎かにしてきた結果なのです。僕が「こう」なのは他でもない僕に起因するのです。そう信じています。
やさしくあり続けることが僕の意味です。やさしくなければ生きていてはだめな気がして、僕は自らをやさしくあれと鞭打つのです。
ねえ、僕は生きていていいんでしょうか。なんて、生きてはいけない人間も、生きているべき人間も本当はない筈なのに、ヒロイズムに浸るのは気持ちがいいね。
僕には、まだやりたいことがたくさんあります(そしてその多くは僕には出来ないことです)。
僕には、大切なひとたちがたくさんいます(ですが僕は僕が大切ではありません)。
ねえ、僕はここにいてもいいんでしょうか。

宗教

かみさまがいました。
ああ、彼女は知っている。自身がいくつもの絶望と、神の寵愛の上に立っていることを彼女は知っている。だからあれは儀式だった。彼女はあの場所にいる誰のためにも歌っていなかった。供物は声であり、歌であり、祈りであった。
一途な宗教を、ぼくたちはみていただけなのだ。

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