海の手記

報告と記録

京都という街について

この街に来てもう三年と半年が過ぎた。
入居当時空き地だったお隣さんにはよくわからんマンションが建ったし、一乗寺にはラーメン二郎ができた。その点ぼくはと言えば、何も進退なく、相変わらず不健康かつ怠惰な生活を続けている。本だけはそれなりに増えた。でもそれだってこの街に来る以前からの習慣でしかないのだから、やっぱりぼく自身は何も変わりないのだとおもう。この街は時間の流れが異常におそくて、実際の時間のながれに置いていかれてしまいがちだ。この街に来れば何かがどうにかなるような気がしていたけれど、それは健気な幻想に過ぎなかった。

それはそうと左京区は偏差値が高い感じがするのはどうしてだろう。哲学の道があるからなのか、京大があるからなのか、なんとなく文化のにおいが強い。年度末には引っ越しを予定しているので、すこし気にしておきたい。東山とか、あのへん。
うちの大学の人間は鴨川を隔てて向こう側に行かないなんていう言説があるけれど(これがくだらない選民思想か、あるいはしょうもない自己卑下に由来するのかは死ぬほどどうでもいい)、ぼくは結構行ったとおもう。どうでもいいけど鴨川に入水自殺できるほどの水深がなくて本当によかった。京都に来る人間なんていうのは、ぼくから言わせればどこか精神を病んでいるし、ひとをぽんと飛び込ませるような引力が、深夜のあの川にはある。

三条河原町のあたりは、サブカル野郎/女とサラリーマン、DQN大学生やバンドマン、外国人観光客がごっちゃになってておもしろい。烏丸線に近づくほどサブカルチャー度が高いとおもう。サブカル区画ではあんまりバンドマンは見ない。ふしぎ。バンドマンが好みそうな古着屋とかあるのに。
鴨川は金もかからんし、雰囲気もわるくないから、等間隔に並ぶ気持ちもわかる。別に見せつけてるわけでもないのに、変に見下している人間にはすこし辟易とするけれど、実際にみると本当に等間隔でわらう。わらうくらいは許してほしい。

大学卒業がすこしだけ迫ってきて、なんとなく三年とすこし暮らした街のことを書きたくなった。でもいざ書き出すと書ききれないことがあまりに多く、もしかしたらまた書くかもしれない。いや、書かないかもしれないけど。書くとすれば、今度はもうすこし自分語りしてみようともおもっている。

ぼくはいつまでこの街にいられるのだろう。何の進退も得られなかったけれど、それなりには気に入っていて、ずっといられたらいいな。

今日は外に出るつもりだった。
なんだかもうどうしようもないところにまで来てしまった。身体はうごかない。頭がわるい。大学入学時に思い描いた私は、少なくとも今の私ではない。
せっかく上手くやれていたのに。いや、上手くやれていたから、分不相応にも頭がわるいことを失念した。はずかしくてもうとてもではないが生きていかれない。シャワーを浴びながら眉剃りの刃を試しに腕にあててみたけれど、やはり衝動に身を任せられる人間ではないらしく、痕になったらいやだなとか、心配をかけたくないななどと考えたりした。きっと薬が手元にあっても同じだろう。それとは別に刃のあたっている様をみて寒気がした。色々な面で不可能だ。
私が消えても私にまつわる私以外のものは消えない。この記事も消えない。だから私が消えても意味がないのだ。素敵なことで、残酷なことだ。
風邪が長引いている。バイトに受かったとの報があった。数日前の私は、なぜこんなものに応募したのだろう。まあ、無理やりにでも外に出れば、何か好転するかもしれない。……うそだ。なにも変わりはしない。またしにたくなって行けませんなんてことのないようにしたい。
色々やりたいことがあった。パソコンの知識をつけようと思い立ったのをおぼえている。今日はそのための入門書を見に行くつもりだった。勉強の予定をたてていて、その参考書も。一体なんのための勉強だっただろうか。思い出せるけれど、熱量を思い出せない。どうでもいいと考えるのは、あまりよくない。神経質すぎる私だから、多少はそうしたほうがよいのだけれど、どうでもいいと考えて物事がよくなった試しがない。自棄と大雑把はちがう。
ともあれ生活はできているのが救いかもしれない。食事を摂れたのは昨日の作り置きがあったのも大きいが。風呂にも入れたし、排泄もできている。明日は試験の合否がわかる日だったような気がする。バイトのメールも届くらしい。よくねむれますように。そして、外に出られますように。

審判

特別にはなれなかった。
ぼくはえらばれなかった。
なににも、なれなかった。
おそらく今なら死ねるだろう。なんとなくそう思う。余生がすべて消化試合へと移り、ぼくはなににもなれなかった自分を許容できやしない。正直に言ってなんの希望も消え失せてしまった。ぼくが死んだらたくさんのひとがかなしむので、死なないことにしているだけだ。あるいは、ぼくには何の価値もないけれど、あえて死にたいとは思わないだけだ。
一日ベッドに横たわっていた。食事も摂らなかった。耳鳴りはひどく、吐き気を何度も催した。自律神経に異常をきたしたのか、なみだが勝手に出たりしていた。ここで薬を用量を無視して服用したり、衝動に委せて自傷したりすれば役満なのだけれど、そんなことをしても何にもならないことをぼくは知っているし、それらの行為をひどく嫌悪しているためしなかった。最早何に対する欲求も関心もわかなくなっている。死なないと決めたなら、ぼくはまた生活を編んでいかなければならないのに、すべてがどうでもよく、無気力に屈した身体は言うことを聞かない。明後日には大事な(最早大事であったかどうかも思い出せない)試験を控えているというのに。こんなのはただの甘えで、なりたいものになれなかった人間なんてごまんといることくらいわかっている。人生は妥協の連続でできている。いくらごねたところで、結果が覆ることもない。だから前を向くべきなのだけど、消化試合にぼくは価値を見出だせない。周囲も、はじめは慰めてくれるだろう。「がんばったのだから仕方ない」「まためざせばいい」でもそうじゃない。今じゃなければ意味がなかった。でもこれはわがままだ。甘えだ。ああ、もう、無理かもしれない。無理無理無理無理無理無理無理無理もうたすけてくださいゆるして、ねえ、
気が触れたら、おしまい。

忘却

久しぶりにブログを書く。

気づけばもう春になっていて、審判が目前に迫っていた。花粉症もピークを過ぎて、例年なら一年でいちばん、美術館や水族館、なんてことのない理由で外に出たくなる季節だ。

最近日中はずっと寝ていることが多い。起きるともう太陽は大抵傾き始める時分になっている。これは半分意図的で、どうやら自分はいよいよ朝型の人間ではなく、無理に朝起きて勉強しようとしても結局上手くいかないことがようやくわかったから、眠れないのなら寝なければいい、といった安易な考えの下、しかし何もせずに一日を終える生活よりはずっといいと思い実践することにしている。受験期は毎朝登校という強制的なイベントがあったし、そもそも勉強なんて適当にやっていればいいと思っていた。有り体に言えば向上心が今ほどなかった。では大学受験と違い今向き合っているものがどうしてこんなにも怖いかというと、結局のところ大学は最終学歴でしかなく、どこにいても自分は自分なのだから、極論どうとでもなるのだけれど、まあ土地くらいはこだわろうかくらいにしか考えていなかったものが、今度は一生を左右するものに変わったということなのだろう。付言すればぼくが特別になる最後のチャンスだからだというのも、大きな理由だとは思う。進捗はあまり芳しくないけれど、なんだか根拠のない自信はすこしだけあって、これは大学受験のときにもあったものだから、こうした直観は、あとすこしだけれど大事にしていきたい。勿論、実感の伴わない危機感が危険であることはわかってはいるのだけれど。

勉強自体は思ったよりも楽しんでいる。センター試験の勉強はまったく楽しくなかったことを思い出すと不思議だ。おそらく強要される形の勉強がすきではないのだろう。大学は自由でいい。こんなことなら高校のときにもっと頑張れていたような気がするし、そうしたらもっと何かが変わっていたのかもしれない。正直に言えば後悔している。数年ごしに、ああ周りはこんなものと戦っていたのだなと腑に落ちるのは思いの外悔しい。わからないことがあると、昔の友人に訊ねてみたりもする。皆懐かしむように、それでいて楽しそうに教えてくれるのだけど、それぞれ積み重ねてきたものがあって、適当にやりすごして、それでいてなんだか上手くいってしまった自分が恥ずかしくなり、そういった友人が羨ましく思える。いつだってぼくは気づくのが遅い。

あと、しばらくなりを潜めていた攻撃性のようなものも、日に日に大きくなっているような気がしている。世の中は馬鹿が多い。きっとそれは目を瞑って見ようとしてこなかった事実なのだと思う。なにより、その馬鹿の中に自分が含まれていることがたまらなく嫌だ。馬鹿なりにどうにか足掻いてみているけれど、どうもああはなれそうにない。劣等感が羨望や憧憬を伴って襲ってくる。これがきっと生活といつものなのだろう。

すきなひとは前ほど頑張れないことで自分を責めなくなった。事実前よりずっと前に進んでいるし、進むことを指向している。ぼくはそれが素直に嬉しく、彼女の成功を本気で信じているし、そうなることを祈っている。これは自分がそれなりに努力してみて気づいたことなのだけれど、前よりすこしだけ、周囲に対してやさしくなれたような気がしている。冗談でも独善でもなく、自分と同じだけ、誰かの望みが叶うことを考えるようになった。これが良いことなのかどうかは正直、微妙なところだと思っている。

久しぶりにブログを書いてみるとこんなにもだらだらと起伏のない文章になってしまった。そろそろ言を閉じようと思う。

明日は起きられたなら古書市に行きたい。

最近はずっと悪夢が続いている。
厳密に言えば最近というよりはもう何年もと言うべきだろうし、悪夢というには少しニュアンスが異なってくる。生まれてから今まで、やれなかったこと、やめてしまったこと、やりたいこと、そういった類いの夢をいつもみる。
例えば私はあるアーティストになっていて、広いアリーナで公演をしている。観客は皆私の、そして私の音楽のファンで、私が歌い出すのを心待ちにしている。バンドのメンバーも私の歌い出しを待っていて、ついに私はギターを弾き、歌い出す。けれど私は残念なことにそのアーティストではなかった。ギターは上手く弾けないし、歌は上手く歌えない。観客は互いに目を合わせてざわつきはじめる。もうたまらなくなって、演奏をやめる。メンバーが私を見ている。観客が私を見ている。もうその目は歓喜でも待望でもなく、ただただ失望であった。こわい。こわい。そう思って逃げ出すと、朝になっている。
ある時はやめた部活動に戻っている。高圧的な指導者や先輩に囲まれながらも、その競技はすきだった。当時私は精神的な理由からその競技の、ある特定の動作に支障が出る運動障害に悩まされていて、実際別な理由で退部となったとき、ようやく離れられる口実を得たと実は安堵していた。すきなのに上手く出来ないというのは、かなりつらく、またその症状が特定の状況下に限定されていたことから、周囲からはただ単に技術的な問題だと認識されていたこともつらかった。だから退部はそうした葛藤から逃避する、言ってみれば良い機会だった。同輩や先輩、教師までが復帰するように計らってくれたけれど、すべて断った。「やめたいようにはみえない」そう私に言ったひともいた。やめたくはなかったけど、とりあえず逃げたかった。その競技をきらいになりたくなかった。そんな背景もあって、いまだに復帰する夢をみる。当時の同輩とも仲が良いし、多少の、いやかなりの負い目はあるけれど、未練なんてない筈であるのに、まだあったかもしれない過去をみる。その中の私はやっぱり運動障害を起こして、皆に迷惑をかけ、失望され、情けなく恥ずかしい思いをしている。
誰かになりたいだとか、こうしていればよかっただとか、そうした後悔が、自認しているよりもっと、私にはたくさんあるのかもしれない。きっと一生付き合っていくしかないのだろうし、一生夢見はよくないかもしれない。けれどそれでも、私は私をやめることなく続けていきたいと思っている。
私の人生はすべて失敗だったわけではないから、少ない成功を抱き留めておきたいのだ。

なんだかねむれなかった。
未来のことがすこし不安で。
多分ぼくは今年は無理だろう。客観的事実として、素直にそう思うし、納得もしている。ぼくらの目指す門はせまく、実際何年もかけて通るひとというのは珍しいことではないらしく、ならばぼくも平凡だったということで、しかし普通のことならば、まあ納得できないこともない。
でもまるで何もしないまま、一年を延長して、猛進してもよいかと言われれば、それはそうではない。こんなことを言うのはとても気恥ずかしく、わがままなように思われるかもしれないけれど、恋人と会えないのはつらい。一年か、あるいは二年か、どうにかつないでいくにしても、恋人に会えるだけの余裕のある生活を手に入れなければならない。そのためには、自活しうる仕事にとりあえずは就く必要がある(しかもそれは、勉強時間を確保しうる最低限のものでなくてはならない)。本当は平身低頭、親に頼み込んで、支援してもらうのがよいのだろうし、「恋人と会いたい」なんて、一年がまんして、そうして目標が達成できたのちにいくらでもすればよいとそう言われそうだけれど、ぼくにはこれが最も優先すべき事項であり、死活問題なのだ。願わくは今の街を離れたくないし、仮に地元に身を寄せることになっても、会いに行けるだけの金銭的な余裕がほしい。
勿論受けるからには落ちてやるつもりなんて欠片もないけれど、もう落ちる前提でこんなことをあれこれと思案している。後ろ向きだと言われるかな。ぼくとしてはそんなことはまったく、全然なくて、むしろ希望をすべて叶えるといった気概と傲慢さに溢れた設計なのだけれど。
色々と調べてこれらを上手く解消する方策を模索している。貴女はこれをみたら、かなしい気持ちになるのか、同じように将来を案じ始めるのか、切なくなってしまうのか、そう考えるとこれを公開したくない。でも、先も述べたように、ぼくは至極前向きであるし、どうか貴女も悲観的になりすぎないでほしいです。
ぼくがこんなことを優先して、こんなにも必死になっている。これはぼくにとってとてもとても驚きで、ぼくの中では新聞の一面ものだ。ぼくはひとをすきになっている。そしてそれが貴女であって、本当によかったと思っています。
文面が誤解されないか、とても心配です。これをみても無闇に不安になったりしないでください。なるようになるだろうし、貴女がいればどんな形であろうと大丈夫な気がします。
だいすきですよ。

夜半の独白につき

散らかっている。そう思った。
記憶が、言葉が、その断片が、この部屋には散らばっている。それがとても切ない。こんなにも切ない空間で、ぼくは生活をしなくてはならないのでしょうか。こんな呪いを残していった貴女がすこしだけ恨ましいです。でも、今まででいちばん長く一緒にいたのだから、当然なのかもしれない。
また重ねることができましたね。貴女はどんどん可愛らしく、どんどん泣き虫になっていきます。これからの人生という視点からみればほんのすこしの時間、ぼくたちはすこしだけ、岐路に立ちます。ぼくだって安定しているとは到底言い難い人間だけれど、それでも貴女のことを思うととても心配になります。どうか貴女の思うまま、望むままに物事が進んでいきますように。何も貴女をいじめませんように。どうかおだやかに、貴女が貴女でいられますように。祈っています。
旅行、たのしかったね。ほしかった本も買えたし、観たかった映画もみられた。たくさん一緒にいられてしあわせでした。貴女は、「ずっと」を信じられずに不安になるくせに、お別れが近付くとあんなにさみしそうな顔で「ずっとこうしていたい」なんて言うんだね。本当に嬉しい。
これから先を思うと不安だけれど、案外生きてさえいれば、貴女さえいれば、地位や外聞なんてどうだっていい気がしてきて、それらを捨てられれば、なんとでもなるような気がしています。
愛しいひと、どうか健やかに。
どうぞこれからもよろしくね。