海の手記

報告と記録

あるけ

殺されたことはありますか。
ぼくが初めて殺されたのは中学生のときです。太宰治の『人間失格』を読みました。激しい同族嫌悪と文字通りの嘔吐感のあと、ぼくは明らかに変質してしまいました。太宰治は死んでいる。ぼくと同じ性質を持ちながら死んでいる。ならぼくも死ぬべきではないか。太宰治は死ぬことで特別になった。けれど同じ性質のぼくがこれから死んだところでただの二番煎じじゃないか。二番煎じは嫌だ。特別にならなきゃ。代替不可の何かにならなければ犬死にだ。今こうして生きているのは、明らかにその変質の慣性で、読む前と後では、ぼくは違う思考をする人間になりました。人格が変わるというのはつまり死ぬということで、それが他者によるものならそれは紛れもない殺人だと思います。
二度目は最近、the cabsの音楽を初めて聴いたときでした。退廃的で、自暴自棄で、狂気と諦観、あらゆるやさしさを詰め込んだその音楽を聴いたとき、ぼくは二度目の死を感じました。ぼくも人を殺す音楽がしたいと思いました。殺したいという破壊衝動は対人、ひいては世界との関係の本質だと思います。くだらない同調もお世辞も相槌も、全部いらないからもっと殺す気で来いよ。殺したくなるくらい誠実にありたいと強く願います。
もうすぐバレンタインデーですね。今日スーパーでチョコレートを買う女子高生をみました。実はぼくも2月14日は予定が組まれていて、けれどぼくはそれを素直に喜べるような真っ当な人間ではなくて。それが原因で毎日死にそうになっています。でもスーパーでみた女子高生はとても微笑ましくて。世界はぼくが関わっていないとこんなにも美しい。こうやって肥大化していく自意識は、いつか破裂してくれるのでしょうか。無理だろうな。
今はドストエフスキーの『地下室の手記』を読んでいます。一行目からすでにつらく、読了できればいいのですけれど、死にたくならない程度に頁を繰ろうと思います。
髪が伸びすぎています。切りたい。
ではどうか皆様明日も生きて。