海の手記

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こうして同じ文字列が繰り返されているところを見ると、たとえそれが美辞麗句だったとしてもひとは狂気を感じるのだなとか、どうでもいいことを考えます。美辞麗句ゆえの狂気というか、つまり正常というのはもしかしたら過不足がない、という意味なのかもしれません。
最近は所在ない生活から逃れるために狂ったように遊んでみたり、それでも眠れずに暗い部屋で徒然と益体もない思考に耽ったり、ベランダで煙草を吸ったりしています。そろそろ不摂生のツケが回って、体調を崩すのではないかと恐々としていますけれど、わりと身体だけは健在だったりします。電気の付いていない部屋でベッドに胡座をかいて色々考えている時の自分は無敵で、全知にでもなったかのような万能感で満たされます。それがとても危うい状態であることは重々承知なのですが、病んでいることすら甘受してしまっているぼくにはそれがたまらなく快感に思えて、また研究のことだったり、哲学のことだったり、音楽のことだったりを想うのです。狂っているとはあえて言わずに、極めて特殊な性癖とでも思っておこうかしらん、と自虐気味に思うようになりました。
好きなバンドの新譜を聴いたら、たまたま自分と同じような苦悩が書かれていました。普通は「同じような悩みを持っているひとが他にもいるんだ」と勇気付けられたりするのかもしれませんけれど、ぼくは、この悩みすら凡庸で、何ら特別でないのかと、わかってはいたけれど、改めて宣告を受けた気分でした。こんな世界だから駄目なんだ、全部燃えてしまえばいいと、理不尽に世界を呪いたくなったあとに、こんなに美しい世界は他にはないだろうなと思い直したりして、一体全体自分はなにをどうしたいのか判らなくなって、手持ち無沙汰だからギターでも弾いて、一丁前に芸術を語り、そして自分の凡才ぶりを再確認して、それでも生活を続けるためには自己愛を喚起するより他になく、気づけばそうした繰り返しの慣性に従って延命処置を繰り返す羽目になっているのです。多分これだけ厭いながらも、この繰り返しに飽きる時は一生かかってもありません。ぼくは自己中心的で我儘で怠惰で愚鈍な人間だから、太宰や芥川のようにはなれません。彼らのように世界を愛することはぼくにはできないから。
そんなこんなで今日こそは真っ当な生活リズムに回帰するため、無理矢理にでも眠ってやろうと思います。おやすみなさい。