海の手記

報告と記録

良好

生来ぼくはひとというものが信じられません。人間不信というやつなのでしょう。ぼくの性質上、親しい人間というのは距離が近いことを意味しませんけれど、とはいえそういった親しい人間ですら、果ては家族ですら、その思惑や意図を勘繰ってしまうのです。それはきっと好意や信頼とは別な部分で、どれだけそのひとを好いていて、信じたいと思っているかに拘わらず発揮される性質のようです。手放しの信用というものを、ぼくはいまだしたことがありません。どれだけ信じたいと願っていても、論理と可能性ばかりがぼくを支配します。信じたいのに信じられないというのは実に苦しく、相手がぼくを信用してくれているならば尚更、ぼくを蝕みます。信用を仇で返しているような、その気持ちを裏切っているかのような感覚、事実そうなのでしょうが、ならばその不審を悟られぬようにと、また嘘と道化で取り繕うのです。信じているから信じなくていいよ、そう言ってくれるような人間がこの世にいるなら、ぼくはそのひとを愛します。恋愛だろうが、親愛だろうが、友愛だろうが、許される限りの愛をそのひとを注ぐでしょう。
こんな人間不信に拍車がかかってきたのは大学に入ってからで、どうもそれが論理を用いる学門というものに傾倒したことに起因するように思えて、自分がこれより先本当に学門の道を歩んでいいのか、自衛の観点からそう思います。自分はもうだめなのではないか、もうあとはどんどん駄目になっていくしかないのではないか、生きる価値、死ねる理由、死なない論理、そればかりが堂々巡りで、ふと得体の知れない恐怖に苛まれます。
今なら死ねると考えてもう十年が経ちました。ぼくはこうやって生きていく人間なのでしょう。死ぬまでには嘘や道化ではなく、心のそこから信じてると言える日が来ればいいなあと切に祈っています。ぼくはだいすきなひとたちのために生きます。自分のためには到底生きられそうにもないので、誰かにすがって、依存して、そうやって頑張ります。だからどうか貴方もご自愛を。