海の手記

報告と記録

創るという行為について、何か思うことがあるとすれば、人はきっと自分の中にある事物しか創造しえないんだろうなということです。美しい人間からはきっと美しい音楽が、詩が、絵画が生まれるし、汚い人間からは汚いものしか生まれないと思っています。それでも作品に罪はなく、ぼくはぼくの創造物に対し申し訳ない気分になるのです。身から出た錆というか、ぼく自身、自分の中にわずかでもある美しさや、愛しさ、尊さなんかを、ぼくから解放してやるつもりで、切り離してやるつもりでものを創るので、創り終えた後漠然とした喪失感に苛まれ、またひとつ自分が美しさを失った寂寥感でいっぱいになるのです。人間というのは多分そうやって美しくなくなっていく生き物なのでしょう。勘違いかもしれませんが、こんなぼくでも、小さな頃は今よりすこしだけまともで、そう、美しかったような気がするのです。自分が特別であることを信じてやまなかったし、ひねくれてもいなかったし、斜に構えてもいなかったと思うのです。創るという行為に取り憑かれたぼくは、そうして自ら醜悪に身を落とす他ないのです。
きっとしあわせなんて望むべくもないのでしょう。自分が将来しあわせに救われている様子なんてまるで想像もつかないし、ならば願わくはぼくの周りの、ぼくのだいすきなひとたちがしあわせになるのを近くで見ていたいと思います。どんな仕打ちも甘んじて受け入れるつもりだけれど、それくらいのわがままは許してもらえたら、ぼくは満足です。
明日もぼくは生きます。明後日も、明々後日も、その次の日も、呼吸は連続し心臓は鼓動を打ちます。だからどうかきみがしあわせでいられますように。