海の手記

報告と記録

融解

自らの狭量さ加減に辟易する。傍からみて自分は大層面倒くさい人間であるだろうし、平素通りの鈍感もまるで用をなさないので困っている。感情というものは非常に生理的なもので、飼い慣らすには理性という手綱はあまりにもか細い。そもそも自分がここまでの拘泥、執着をみせること自体が稀有であり、どうにもそういった自分にいまだ不慣れで、最近は不安定な日々が続いている。
信じている、という言葉がどこまで本当であるのか、考えたくはないけれど、少なくとも私の自意識は理性に寄っているらしいからきっと本当なのだろうと思う。信じているという言葉を要請しているのは感情ではなくて理性であるから。
一体何が気にくわないのか、考えていると歯止めが効かなくなってしまう。私が不感を貫けばよいのか、それともみられるという状態を捨て去ってしまえばよいのか。こうして煩悶していることが、私はとても申し訳ない。どうしようもない人間だ。信頼と好意を裏切っている気分がして、苦しい。困らせていると感じる。もうこれ以上踏みにじるような行為はしたくないのにな。