海の手記

報告と記録

死のう死のうと思っていたらいつの間にか世間はゴールデンウィークになっていた。
仕事には随分慣れた。結局のところ何一つ困難はなく、肥大化した自意識をへし折るには労働はあまりに容易かった。職場のキーボードの大きさにも、行儀正しく堅苦しい文章の書き方も、すぐに生活の一部となってしまった。
媚びを売り、かける迷惑ひとつひとつに謝意を示していればいいだけの人間関係が上手くいかないと嘆く人たちの気持ちが、あるいは煩わしいことを煩わしいというただ一点に拠って享受できないという稚拙さがぼくにはわからないけれど、それでも煩わしいものは煩わしいので早々に適切な距離を形成しなければならないと思いつつ、しかし人間は思いの外人間関係がすきなのでままならない。
これができなければ死のうと、その時その時はきっと本当なのだけれど、気づけば死ぬ死ぬ詐欺で終わっている。ぼくの場合、騙すのも騙されるのもぼくなので始末に負えない。
せっかくの休日を、誰かに拘束されたいという気持ちも、ぼくにはわからない。学生の頃のように、いつだって時間をもて余している(つもり)ならともかく、貴重な時間を誰かに献上するような、それに見合う価値が会合の類や遊びにあるとは思えない。きっとずっとひとりでいたいのだと思う。拒絶し続けて、その結果、本当のひとりになってしまっても、それはそれでいいと今は思っている。
最近はずっとねむれていない。それでも問題ない程度の労働環境でよかったと思う。仕事中、仕事に集中したことは、いまだにない。
新居は日当たりがよくて、ベランダも以前よりすこし広くなったおかげで、休日は布団が干せるようになった。誰かと会話しているより、そっちのほうがよっぽどしあわせだ。
試験が近い。自信はない。受かることにも、おちたあと正気でいられることにも。ただ試験におちたために狂ったと、そう誤解されることはぼくにとって何よりも心外なので、精々正気の今のうちに、正気のふりをする練習でもしておくことにする。
今が本当に正気であれば、だが。