海の手記

報告と記録

最近はずっと悪夢が続いている。
厳密に言えば最近というよりはもう何年もと言うべきだろうし、悪夢というには少しニュアンスが異なってくる。生まれてから今まで、やれなかったこと、やめてしまったこと、やりたいこと、そういった類いの夢をいつもみる。
例えば私はあるアーティストになっていて、広いアリーナで公演をしている。観客は皆私の、そして私の音楽のファンで、私が歌い出すのを心待ちにしている。バンドのメンバーも私の歌い出しを待っていて、ついに私はギターを弾き、歌い出す。けれど私は残念なことにそのアーティストではなかった。ギターは上手く弾けないし、歌は上手く歌えない。観客は互いに目を合わせてざわつきはじめる。もうたまらなくなって、演奏をやめる。メンバーが私を見ている。観客が私を見ている。もうその目は歓喜でも待望でもなく、ただただ失望であった。こわい。こわい。そう思って逃げ出すと、朝になっている。
ある時はやめた部活動に戻っている。高圧的な指導者や先輩に囲まれながらも、その競技はすきだった。当時私は精神的な理由からその競技の、ある特定の動作に支障が出る運動障害に悩まされていて、実際別な理由で退部となったとき、ようやく離れられる口実を得たと実は安堵していた。すきなのに上手く出来ないというのは、かなりつらく、またその症状が特定の状況下に限定されていたことから、周囲からはただ単に技術的な問題だと認識されていたこともつらかった。だから退部はそうした葛藤から逃避する、言ってみれば良い機会だった。同輩や先輩、教師までが復帰するように計らってくれたけれど、すべて断った。「やめたいようにはみえない」そう私に言ったひともいた。やめたくはなかったけど、とりあえず逃げたかった。その競技をきらいになりたくなかった。そんな背景もあって、いまだに復帰する夢をみる。当時の同輩とも仲が良いし、多少の、いやかなりの負い目はあるけれど、未練なんてない筈であるのに、まだあったかもしれない過去をみる。その中の私はやっぱり運動障害を起こして、皆に迷惑をかけ、失望され、情けなく恥ずかしい思いをしている。
誰かになりたいだとか、こうしていればよかっただとか、そうした後悔が、自認しているよりもっと、私にはたくさんあるのかもしれない。きっと一生付き合っていくしかないのだろうし、一生夢見はよくないかもしれない。けれどそれでも、私は私をやめることなく続けていきたいと思っている。
私の人生はすべて失敗だったわけではないから、少ない成功を抱き留めておきたいのだ。