海の手記

報告と記録

なんだかねむれなかった。
未来のことがすこし不安で。
多分ぼくは今年は無理だろう。客観的事実として、素直にそう思うし、納得もしている。ぼくらの目指す門はせまく、実際何年もかけて通るひとというのは珍しいことではないらしく、ならばぼくも平凡だったということで、しかし普通のことならば、まあ納得できないこともない。
でもまるで何もしないまま、一年を延長して、猛進してもよいかと言われれば、それはそうではない。こんなことを言うのはとても気恥ずかしく、わがままなように思われるかもしれないけれど、恋人と会えないのはつらい。一年か、あるいは二年か、どうにかつないでいくにしても、恋人に会えるだけの余裕のある生活を手に入れなければならない。そのためには、自活しうる仕事にとりあえずは就く必要がある(しかもそれは、勉強時間を確保しうる最低限のものでなくてはならない)。本当は平身低頭、親に頼み込んで、支援してもらうのがよいのだろうし、「恋人と会いたい」なんて、一年がまんして、そうして目標が達成できたのちにいくらでもすればよいとそう言われそうだけれど、ぼくにはこれが最も優先すべき事項であり、死活問題なのだ。願わくは今の街を離れたくないし、仮に地元に身を寄せることになっても、会いに行けるだけの金銭的な余裕がほしい。
勿論受けるからには落ちてやるつもりなんて欠片もないけれど、もう落ちる前提でこんなことをあれこれと思案している。後ろ向きだと言われるかな。ぼくとしてはそんなことはまったく、全然なくて、むしろ希望をすべて叶えるといった気概と傲慢さに溢れた設計なのだけれど。
色々と調べてこれらを上手く解消する方策を模索している。貴女はこれをみたら、かなしい気持ちになるのか、同じように将来を案じ始めるのか、切なくなってしまうのか、そう考えるとこれを公開したくない。でも、先も述べたように、ぼくは至極前向きであるし、どうか貴女も悲観的になりすぎないでほしいです。
ぼくがこんなことを優先して、こんなにも必死になっている。これはぼくにとってとてもとても驚きで、ぼくの中では新聞の一面ものだ。ぼくはひとをすきになっている。そしてそれが貴女であって、本当によかったと思っています。
文面が誤解されないか、とても心配です。これをみても無闇に不安になったりしないでください。なるようになるだろうし、貴女がいればどんな形であろうと大丈夫な気がします。
だいすきですよ。

夜半の独白につき

散らかっている。そう思った。
記憶が、言葉が、その断片が、この部屋には散らばっている。それがとても切ない。こんなにも切ない空間で、ぼくは生活をしなくてはならないのでしょうか。こんな呪いを残していった貴女がすこしだけ恨ましいです。でも、今まででいちばん長く一緒にいたのだから、当然なのかもしれない。
また重ねることができましたね。貴女はどんどん可愛らしく、どんどん泣き虫になっていきます。これからの人生という視点からみればほんのすこしの時間、ぼくたちはすこしだけ、岐路に立ちます。ぼくだって安定しているとは到底言い難い人間だけれど、それでも貴女のことを思うととても心配になります。どうか貴女の思うまま、望むままに物事が進んでいきますように。何も貴女をいじめませんように。どうかおだやかに、貴女が貴女でいられますように。祈っています。
旅行、たのしかったね。ほしかった本も買えたし、観たかった映画もみられた。たくさん一緒にいられてしあわせでした。貴女は、「ずっと」を信じられずに不安になるくせに、お別れが近付くとあんなにさみしそうな顔で「ずっとこうしていたい」なんて言うんだね。本当に嬉しい。
これから先を思うと不安だけれど、案外生きてさえいれば、貴女さえいれば、地位や外聞なんてどうだっていい気がしてきて、それらを捨てられれば、なんとでもなるような気がしています。
愛しいひと、どうか健やかに。
どうぞこれからもよろしくね。

そんな風に、自分をいじめないであげて。
そうやって切なく、かなしい気持ちになったあと、それが自分の所為であることを思い出す。
また間違えた。
何度目かの間違いは、きっと取り返しのつかないものになる。

旅行

ずっと生きていたいと考えて、あるいは考えるように自分を飼い慣らしてきたぼくだけれど、それでも消えてしまえたらと考えたことがないと言えば嘘になってしまう。ぼくにとって青春とは生き長らえてもいい理由を、価値を、ぼくに見出だすための時間でした。
でも貴女はいてくださいと言ったね。いなくてはだめだと言ってくれました。そして泣き虫な貴女のことを思うと、ぼくはもう消えてしまえたらなんて考えることができないのです。ぼくがいなくなったあとの貴女を考えるとたまらなくかなしく、そんな地獄を貴女に与えてはならないと思うのです。ぼくがいなくなったら貴女はどうなるでしょうか。きっと彼あたりからそのことを聞くのでしょうか。そして世界にもうぼくがいないことに悲嘆し、絶望し、泣くのでしょうか。考えたくないね。
大丈夫だよ、ぼくは貴女を置いてどこかへ行ったりしません。そして、貴女がいなくなったときのぼくも貴女と同じであることを、どうか知っておいてください。ぼくはどうしようもなく嫉妬深い人間なようなので、貴女を無闇に傷つけることも多いけれど、本当に貴女がぼくを選んでくれたことを嬉しく思っているし、ぼくも貴女を選んでいるのですよ。
旅行、楽しかったです。また本が増えたね、ありがとう。貴女の生活の貴女により近いところに触れられたこともとても嬉しい。以前よりもすこしだけ泣き虫になった貴女が愛しく、またすこしだけ心配です。貴女が出会った頃を回顧していたように、今を懐かしむときがきっと来るから、大丈夫だよと言い続けることにします。すきですよ。

音楽

そこには音楽があって、自治が確かに息づいていました。あの空間がすきです。誰もが輝いて見えて、その中に、たとえ不相応だとしても自分がいて。
本番前は相変わらず吐きそうになります。誰にも言ったことがないけれど、音楽に限らず、何かの前にはいつもこうで、でも終わってみれば息ははずんでいるのです。
本当にたのしかった。たまにはこういうのもいいなと思えて、あるいは思ってしまっています。でもこんなにも切なくてさみしいのは、きっと貴女がいないからです。こんなに楽しくいとしい時間と空間を、貴女に見せてあげたくて、こんなにも胸がしめつけられるのです。
またひとつ歳をかさねたぼくを、新しく愛してくれた貴女がすきです。かさねていきましょうと貴女は言いましたね、どうか貴女も健やかに。それがぼくの願いです。ひとつずつ、かさねていきましょう。
だいすきです。

恋文

こちらは晴天です。
なんて言葉が、貴女に何らかの感情を喚起させられるようになるくらいには、この街はもう貴女にとって特別でしょうか。みたことのある道、店、風景。そういうものがすこしずつ増えて、いつかこの街が貴女のものになりますように。そう思います。
ぼくの大切なものや生活を、ぼくがみせて、貴女はそれを気に入って、こういう行為をきっと交感と呼ぶのだろうな、とふと思い至ります。
今やこの街のどこにでも貴女はいて、でもどこにもいなくてさみしい。淡くゆるやかなしあわせが流れるこの部屋で、ぼくはもう二度目の夜を迎えています。
この三日間も生活に希釈され、撹拌してしまうのでしょう。でもね、ぼくはもうあの本を忘れないし、あのきれいなゼリーを貴女なしで飲んだりは出来ないよ。どうかこんなおだやかな日々がずっと続きますように。貴女が泣き虫のままでいられますように。

融解

自らの狭量さ加減に辟易する。傍からみて自分は大層面倒くさい人間であるだろうし、平素通りの鈍感もまるで用をなさないので困っている。感情というものは非常に生理的なもので、飼い慣らすには理性という手綱はあまりにもか細い。そもそも自分がここまでの拘泥、執着をみせること自体が稀有であり、どうにもそういった自分にいまだ不慣れで、最近は不安定な日々が続いている。
信じている、という言葉がどこまで本当であるのか、考えたくはないけれど、少なくとも私の自意識は理性に寄っているらしいからきっと本当なのだろうと思う。信じているという言葉を要請しているのは感情ではなくて理性であるから。
一体何が気にくわないのか、考えていると歯止めが効かなくなってしまう。私が不感を貫けばよいのか、それともみられるという状態を捨て去ってしまえばよいのか。こうして煩悶していることが、私はとても申し訳ない。どうしようもない人間だ。信頼と好意を裏切っている気分がして、苦しい。困らせていると感じる。もうこれ以上踏みにじるような行為はしたくないのにな。