海の手記

報告と記録

想像

この街に来ればなにかが変わる気がしていました。
錯覚だって、幻想だってわかってはいたけれど、それをそのまま捨てるような潔さはぼくにはなく、金星が本当に金色なのか、確かめに行くつもりでこの街に来ました。なるほど確かにここはぼくの思い描いていたものそのもので、むしろそれ以上ですらありました。そして予想外なことがもうひとつありました。自分は自分が思っているよりも遥かになんでもなく、なんでもなかったのです。自己卑下が足らなかったのです。これでもなお井蛙であったことを思い知るのに、この街は十分でした。優秀なひとたち、特別なひとたち。この煩悶さえ、何ら特別でないことも知りました。世の中はぼくの上位互換で溢れていて、ぼくのつけいる隙なんてこれっぽっちもないことを知りました。そう改めて思い知り、こうして沈んでいるところをみると、どうやら醜くも自分はまだそれでもどうにかなにかに、特別になれるのではないか、滑り込めるんじゃあないかと、そんな風に考えていたらしいのです。羞恥心と無能感、絶望、死にたくないと考えることに一定の努力を要する、生物失格。取り柄がない。器用で、要領よく。そんな何の価値もないことばかり上手くなり、できないことすらできず、下劣に身を落とすことすら叶わない、そんな平凡。退屈だ。生活は簡単だし、試験も人付き合いも、バイトもすべて生きるのに比べれば何てことのない些事でした。
ぼくはぼくのことがきらいです。声も、容姿も、なにもできない無能さ加減も。どうか精々、繋ぎ止めてくれるひとたちと、大切なあのひとがいるうちは、許せない自分を許せたらいいな。

胡蝶

あなたも、あなたもですか。
やさしくて、やさしくて、世界がつらくて。そんなひとばかりだ。才能の代償に壊れてしまうひとたちばかりだ。音楽があなたを繋ぎ止めているのなら、どうかやめないでほしい。あんなに楽しそうに、それをあなたは承認欲求なんて皮肉っていたけれど、おそらくあなたの場所はそこだ。
あんなやさしい壊れ方をぼくもしたい。多くなくていいから、周りにいつでもひとがいて、死ぬことを許してくれなくて、存在を決定付けてくれて。そしてぼくは恩返しに何かを創る。なんでもいい。とにかく何かを創って、そうやって生きていきたい。
最近すこしだけ、もうなくしてしまったかと思っていた攻撃性みたいなものの残滓が、まだかすかにあることを知った。本当にくだらないと思った。思考は神様の領分だけれど、神様になろうとすることにこそ人間性がある。考えるな、でも考えろ。
暑い。溶けてしまいそう。濡れない雨があれば、もっと雨をすきになれるのに。わからないという感情は非常に人間的だ。わかるものはとても少ない。降ってくる雨の温度を、ぼくは知らない。
どうやって歩いているのかを、ぼくは知らない。
どうやって呼吸をしているのかを、ぼくは知らない。
知らない。
知らない。
ぼくが誰なのかを、ぼくは知らない。
きっとすれ違う誰も知らない。
ふと気持ち悪くなる。
不随意筋や、伸びる爪。まるで生きようとしているのがぼくではなくてぼくの身体であるような。
錯覚だ。ぼくは生きたい。
でもどこまでが錯覚なのかを、ぼくは知らない。

改札

私は私という一個の人間が健全に消費されることを望む。私に漱石になることは難しい。宗教は私を救わないからだ。「許してくださる」という文言は、確かに惹句として効果的であるかもしれないけど、私は別に神に許していただきたいわけではないのだから。私は私に許されたい。私という一個が、健全に消費されているうちはそれができる。私という一個の残量が、あとどのくらいなのか。どうして皆それに思いを馳せずにいられるの?
「生きていく力に欠けていた」
「弱かった、弱かった」
「経済的な問題が……」
ああちがう、ちがうでしょう? ただ彼らは、彼女らは、すこしやさしすぎただけ、頭がよすぎただけ、遠くをみてしまっただけ、そのひとは、きっとあなたの前にいるときから、すでにそこにいなかった。論理で彼らを汚さないで。私は彼らを美しいとは絶対に言わないけれど、それだけはそう思う。「まだ若いのに……」なんて馬鹿らしい。そうでなくては価値などないのだ。
私は彼ら、彼女らとはちがう。人並みにやさしくあろうとは心がけているけれど、やさしすぎるということはないし、相対的に頭がよいとしてもそれが遠くに行けるほどよいというわけでは決してなく、行きたいとも思わない。また本棚がいるね。何度も、何度も、そんな話が永遠に続くことを私は望んでいる。
貴女はどう?


言葉の持つ表現力というのはひとが信じているほど大きくはないから、語弊が生じるかもしれないけれど(あるいはひとが言葉というツールを使いこなせていない。こちらのほうが貴女好みかもしれませんね)、これは詰問でも糾弾でもないよ。ましてこの文章から貴女は何か示唆的なものを感じとるかもしれないが、私はすこぶる快調です。こんなにしあわせなのに、どうか心配なさらないで。

眠気

精神の寿命は、きっと身体の寿命よりも短い。思考はきっと娯楽だ。生命活動においておよそ不必要な行為だ。人間は考える葦というけれど、おそらく人間は考えるようにはつくられていないのだ。他の動物と同じ。なまじ神に近づいたがために、神様の娯楽に手を出した。人間はいつだって不遜だ。ぼくたちは神様ではないのだから、精神がそれに耐えられないのは当然のことだろう。だからぼくは知りすぎてしまうことに恐怖する。神に近づきすぎた人たちの思考の片鱗に、輪郭に触れることがたまらなく怖い。繰り返す。思考は神様の領分だ。考えるな考えるな考えるな。
ひとまず今はとてもしあわせなのだから、何も怯えることはない。

やめない

自分の強欲さに呆れかえる日々です。漱石は「何も考えていない人の顔が一番気高い」と言ったしTHE NOVEMBERSは「生きていることを忘れても心臓はとまったりしない」と歌った。太宰治は「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけもののの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものと噂した。(中略)けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した」と著し、芥川は「僕たちの頭だって、あぶないよ」と呟いた。なにかにならないと、どこにもいけないんだよ。もう許してくれよと考えて、許していないのも、許されたいのも自分だと思い出して、自嘲気味に笑う。なんて、無様。これ以上何を望めば気がすむんだ。多くを望める人間じゃないことなんてもう何年も前に思い知ったじゃないか。大切なひとの心配まで食い物にして、肥大化する嫉妬と羨望、劣等感。遅すぎたという悔悟。今はただ、手に入れた特別を、離さないように、必死にすがりついて、依存して、抱き留めていよう。もう何もないのは嫌だ。

にげた

どうして斜に構えちゃうんだろうなあ。どうしてしあわせをそのまま享受できないんだろうなあ。どうしてひねくれてしまうんだろうなあ。始まったなら終わりのことを考えて、どうしてそんな風にしか考えられないんだろうなあ。どうして、どうして、どうして。いつからこうで、どうしてこうで、そんなことばかり考えて生きています。あるものをあるがままに受け入れられずに、いつだって穿った見方を捨てられずに。ぼくの地球はきっと丸くないのです。人間不信は治りません。いつからかそうやって鳥瞰することが癖になってしまいました。ぼくはここにいるのに、どこか高いところから俯瞰している感覚がずっとあります。すべての感覚が到達するのにラグが生じて、その過程で本来の意味が希釈されているような気がします。とても希薄で虚ろな感情の中で、緩やかに死に絶えていく退廃感。いつからそうなのか、小さい頃はもっと世界は鮮やかだったのにとも思うけれど、あまりに遠い記憶すぎて、ぼくの虚記憶なのではないかと思い直しもします。もしかしたらぼくは生きていないんじゃないか、ジョークのつもりだったけれど、言ってみれば思いの外言い得て妙で、気持ち悪く笑うしかありません。煙草の本数が増えました。こんなものはきっと多感な思春期がすこしだけ長く続いているだけで、きっとあと十年もすれば跡形もなく消える症状だと思ってはいますが、もしこれが死ぬまで続くと考えると、煙草を吸わずにはいられないのです。ねえ、誰もが何かしらの才能を持っているだなんて、嘘だよ。そうやって思いたかっただけなんだ。きっとはじめてそう言ったひとは、きっと誰よりも特別になりたくて、でも何の才能もなかったひと。ぼくと同じ。
ぼくはまた逃げました。逃げることも大事だと何かで読んだか聞いたかしたことがあるけれど、こんな逃避行あと何回続けるつもりなんでしょう。だめだなあ。すこしだけ環境がかわって、でもぼくは何もかわっていなくて、また春が来ました。三度目の春です。まだぼくは夢をみます。間違ってきたことの夢をみます。眠りが浅い性質で、よく夢をみるけれど、そのどれもが悪夢のようで、果たしてすべてが悪夢なのかはたまた悪夢しか覚えていないだけなのか、どちらにしても都合のよい脳をしているものだと自分で呆れてしまいます。
こんなぼくを愛して。

クロードモネ

才能というのは有限であるという説は、才能ある芸術家や学者のほとんどが、十代や二十代でその全盛期を終えるという話からも過去歴史を遡っても存外的外れというわけではありません。一生を天才のまま終える天才など本当に一握りで、中には後世になってその才能を認められる、つまり才覚が時代に適合していない場合だって少なくないのです。仮に才能というものが数値的で、消費されるものであるならば、その絶対値こそが、天才の定義なのだと思います。ちいさな頃は誰もが天才だ、大人になるということは天才でなくなるということだ、という言葉は敬愛する小説家の受け売りではありますが、ならばぼくは才能を幼少期に使い込んでしまったのでしょう。ぼくに残るのは天才であったという経験のみです。そんな才能の絞りかすのようなものに依存して、今を生きています。
先日モネの絵画展に行きました。元々絵画に対する知見など持ち合わせてはいないので、当然ではあるのですけれど、ぼくにはそれらの作品をみても、何の意図も読み取れませんでした。構図、色彩感覚、どう切り取り、どの色を用いるのか、すべてがぼくの理解の外で、例えば同じものを見て、自分と同じものと認識するひとではなかったようにすら思えて、一体彼には何がみえていたのか、作品をみるたびにお前は凡才だ、凡庸だ、凡夫だと言われているような気がして、改めて才能というのは暴力だなと実感しました。特に晩年の絵画は、最早理解させようとすら、芸術の本質である伝達をも放棄したかのような作品群ばかりで、はやく美術館をでて煙草が吸いたかったです。凄絶の一言でした。有り体に言えば恐怖でした。あそこまで狂えたならば、どれだけよかっただろうかと思わずにはいられませんでした。ぼくは凡人のまま生きていきます。これより先何らかの才能が開花するなんてこともないでしょう。けれどぼくはぼくが天才ではなくなってしまったことを知っています。そんなぼくに何ができるのか、すこしずつでも考えていけたらなと思います。
それでは。