海の手記

報告と記録

さむい

人が何を求めていて、何をすれば喜ぶのか、ぼくは昔からそれを察することに長けていたように思います。だからこそぼくにとって、やさしくすることは造作もなかったし、好かれることなんて容易かった。世間というものはどうやら明るくて、人当たりの良い人間にやさしい、そう気づいたのは小学生の時分でした。笑い方を覚えたのも確かその頃で、以来ぼくは気持ち悪く笑い続けています。だから、今でも周りはぼくのことを明るい奴だと思っている筈です。わかりやすく言えば演技が上手かったのでしょう。ぼくはここに書いているような人間だし、あなたたちには勿体ないような人間だから、と懺悔は底をつきません。
そうやってぼくが手に入れたのは不感と拒絶でした。どんな悪意もぼくには届かない反面、どんな好意も、それはぼくに対してではなくて、ぼくの演じた「ぼく」に対するものとしか思えなくて。君が好きなのは、本当のぼくじゃないんだよと、そして、自分の本質を断片的にでも見せてしまって嫌われない自信が、ぼくにはないのです。わかるわけがないと勝手に諦めて、せっかく好いてくれている誰かを遠ざけるのはまさに拒絶でしかなくて、その様は自ら不幸になっているだけのように思えます。
先日、成人を迎えて、いざ自分を回顧してみると、どうやら自分は中学生のあたりから何も変わっていなくて、その間ずっと何かになろうと、特別になれることを信じて進んできた筈なのに、ふと足元をみれば一歩も進めていないような感覚に襲われました。
多分ぼくはこうやって生きていく人種なのでしょう。他人に死なないでほしいと図々しくも思ううちは、生きるべきなのだと思います。
こんな感じで説得力はないでしょうが、最近はわりと良い状態にあるのではないかなと思っています。頑張りましょう。めっきり寒くなってきましたが、どうか風邪をひかないように。